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HSPにブッダの教えがちょうどいいワケ

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○道理・真理がわからないことで、生きづらくなります。

○お釈迦さまは、奇跡を起こして人々を救うのではなく、道理を教え、それを聞くことをすすめました。

○しかも、私たちが受け取りやすいよう、機が熟するまで、心を調えて、導かれました。

POINT

3つのポイント

今回は、お釈迦さまの教えをなぜおススメするのか、ということを、お話しします。

ポイントは3つです。

1.再現性がある

2.周りではなく自分を変える

3.人のココロにとても詳しい

まず「再現性がある」ということについてですが、お釈迦さまは、自分だけが持っている特殊な力で助けるという方法をとらない方です。

つまり、よくありがちな「奇跡」を起こして救う方法ではなく、いつの時代も変わらない道理、真理を説くことで、人々を幸せに導かれました。

だから、その道理、真理を聞くことで、リアルタイムでお釈迦さまに会うことができなくても、インドじゃなくて日本でも、まったく問題ありません。

次に「周りではなく自分を変える」ということですが、周囲の理解を必要とする場合、そもそもお願いできない、お願いできても相手次第、ということで、実現するのが難しい場合があります。

しかし、自分自身を変える方法が示されていますので、こういう環境の人は難しい、ということがなくなります。

最後に「人間の心の仕組みにとても詳しい」というのは、私たちは正しいことであれば何でも受け入れられるわけではありません。

お釈迦さまはその点、人の心の仕組みにとても詳しいので、こんなことを言ったらこう思うだろうな、と先回りして、私たちに寄り添ったアドバイスをしてくれています。

これらのことがよくわかる、実際にお釈迦さまを尋ねた人の例をお話しします。

大きな悲しみを抱えた女性

お釈迦さまがおられた当時、キサーゴータミーという女性がいました。

ゴータミーの周りには、不幸が続き、結婚した相手も、子どもが生まれる前に亡くなったのだそうです。

たった一人の肉親である、その我が子を、それはそれは大切に育てていました。

ところが、その最愛の我が子までもが、ある日亡くなってしまったのです。

とても現実を受け入れられないゴータミーは、もうしばらくしたらまた元気になる、薬を探さなければと、子どもの亡骸を抱えて村中を歩き、会う人会う人に尋ねます。

「子どもが急に動かなくなったんです。どなたか治す方法を知りませんか」

どれだけ聞いても、誰の目にも、もう子どもが亡くなっていることは明らかでした。

中には「もうその子は死んでしまっているから無理だよ」という人もありましたが、まったく聞く耳をもちません。

そんな中、心ある人が、「ひょっとすると、お釈迦さまならば何とかしてくれるんじゃないか」と言ってくれました。

そしてゴータミーは、お釈迦さまのところを尋ねたのです。

お会いするやいなや、「この子を元に戻す薬を知りませんか」と尋ねます。

さて、お釈迦さまはこの時、どのように答えたでしょうか。

「あなたの気持ちはよく分かります。その子を治すには、ケシの実が必要です。これから街にいって、もらってきなさい」

ちなみにケシの実というのは、当時のインドでは、どの家にでもあるものでした。

「そんな簡単なことでいいんですか」とゴータミーは聞き返します。

お釈迦さまはうなずいて、一つだけ、つけ加えられました。

「ただし、今まで、一人も死んだ人のなかった家からもらってこなければなりません」

それを聞いたゴータミーは街に向かってすぐに駆け出しました。

一軒一軒、尋ねるゴータミーに、快くケシの実を出してくれる家ばかりでしたが、念のため確認をすると、「去年、おじいさんが死にました」「先日夫をなくしたばかりです」「以前に子どもをなくしました」と、死者を出した家ばかりでした。

それでもゴータミーは歩き回りました。

なかには、「うちは代々たくさんの人が死んでいる。よく考えてみなさい、今、生きている人よりこれまで死んだ人の方が多いでしょう」という人もありました。

どれだけ歩いても一向に、ケシの実が、手に入らないまま、夜になってしまいました。

結局、ケシの実が得られずに、お釈迦さまの元に戻ったゴータミーは、「お釈迦さま、死者のいない家はどこにもありませんでした。私の子どもも死んだことが、ようやく知らされました」といい、お釈迦さまのお弟子になり、仏道を求めるようになったといわれます。

これは、あくまで、キサーゴータミーという1人の女性の身の上に起きたことではありますが、ここから分かることは実はたくさんあります。

“変えられない”事実と“変えられる”見方

先ほど1つ目の特徴として「奇跡をおこなっていない」ということをあげましたが、死んだ子どもを生き返らせることは、最後までありませんでした。

もし生き返らせることができれば、確かにゴータミーを救うことができたでしょうが、さすがにそれはお釈迦さまも無理です。

あるいは、自分にはできなくても、すごい力がある偉い方がおられるんだ、一緒にお祈りしたら、生き返るよ、願いが叶うよ、ということも、お釈迦さまはされていません。

この場合、子どもが死んでしまって、もうこの世にはいない、という事実を、ゴータミーが受け入れられていない。

そこに、苦しみが生じています。

受け入れていないどころか、治ると信じて治そうとしている、その先に、ゴータミーの願いが叶うということはありません。

2つ目の特徴で「周りではなく自分を変える」とあげたのが、この場合でいえば、ゴータミー自身の現実のとらえ方を変えたということです。

・死は避けられるものでないこと

・どんな人にも死別の苦しみがやってくること

・それが今、自分に起きたこと

これらをありのままに見ることができたことで、ゴータミーの苦しみは和らいでゆきました。

事実への向き合い方

ここで、3つ目にあげた、人のココロにとても詳しい、というのが重要になってきます。

確かに事実をありのままに受け入れられたら、ラクにはなれるでしょう。

しかし、私たちは事実であれば何でも受け入れられる、というわけではありません。

疑う余地のない事実であっても、感情が受け付けない場合があります。

ゴータミーに、「もう生き返ることはないんだよ」といきなり言っても無駄なことは、お釈迦さまの所に来るまでに何人もの人がやってみて、明らかです。

他人に言われても受け付けられないのであれば、自分自身で発見し、気づかせるよりありません。

だからゴータミーに会った最初の対応でお釈迦さまは「治してあげよう」と言われています。

そこから、1軒1軒、家を回って、人の死とはいかなることかを、尋ねさせたのです。

しかも、そうとは言わずに「ケシの実をもらう家の条件」として確認させています。

カウンセリングの手法という点でも、お釈迦さまのことを、心理学者、カウンセラーという人があるのは、こうしたところからです。

改めて、ポイントをまとめてゆきます。

仏教では、なんでも叶えてくれる物凄い存在、は登場しません。

一人一人に起きているトラブルには、それぞれが向き合って、対処してゆくように勧められます。

その、向き合い方と対処の仕方を、相手が受け入れられる形で示し、具体的に落とし込んで、寄り添って導いてくれるのがお釈迦さまでした。

病気に応じた薬をすすめる

これが「対機説法」といわれる導き方です。

機とは、仏教で人のことを機械の機の字で表します。機に対して法を説く。応病与薬ともいわれます。

病気に応じた薬を渡すということです。

なんにでも効く薬があって「とにかくこれを飲みなさい」と誰彼かまわず配っていたのではないということです。

その時に大事なのは、ちょうどお医者さんでいうと、診察です。

お釈迦さまは、人間の心にとても詳しい方でした。

これは、現代の心理学、あるいは人工知能の開発に携わっている人が、仏典を研究しているということからも、分かります。

私たちは、正しいことであれば、なんでも素直に理解する、というわけではありません。

正しいことであるために、受け入れられないということもあります。

「こんなことを言ったら、この人はどう反応するだろうか」

そうやって、一人一人に、寄りそったアドバイスを記録していったお経は、本でいえば7000冊を超える、膨大なものになりました。

実は人間というものは、時代は変わっても、本質の部分ではそう変わっていません。

ですから、お経を読んでいくと、現代の私たちにも通じる、時には、そのまんまの苦しみを、お釈迦さまが導かれた事例もあります。

ココロがとても繊細なHSPの方にはなおさら、ココロの専門家であるお釈迦さまのやさしいアドバイスが、とても合います。

これからも、いろいろと、紹介してゆきます。

○道理・真理がわからないことで、生きづらくなります。

○お釈迦さまは、奇跡を起こして人々を救うのではなく、道理を教え、それを聞くことをすすめました。

○しかも、私たちが受け取りやすいよう、機が熟するまで、心を調えて、導かれました。

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