「わがまま」という甘えを知らず ここまできた

前回の記事はコチラ:弱いくせに正義感で戦って 弱いから撃沈してる

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物心ついたころから、自分のやりたいことをやるよりも、空気を読んで、「周りの人がどうしたいのか?」を考えるのが、行動の基本になっていました。

人が不快な気持ちになることが怖かったのです。それがたとえ、親でも。

「甘えることは恥ずかしい」とも思っていました。
母が忙しく働いているのに、何かをしてもらうなんて、できない。
手を煩わさないように、家の中でも常に「何か私にできることはないか?」と考えていました。

子どものころ、甘えが足りなかった? と聞かれて、思い返してみても、
抱っこしてほしいとか、手を繋いでほしいとか、そんな風に思ったことはありません。
そんなのは、べつに要らなかった、と思います。

ただ……何も考えずに生活してみたかった。
子どもなのだから、親には、気を遣わずにいたかった。
それが「甘え」だったのかな、と最近、思うようになりました。

子どもらしくない子どもだった、私。
早く大人になって、一人で生きていけるようになりたい。
親を困らせる存在でいたくないから、経済的に自立しなければ、自由に生きられない。
そう思っていました。

そんなこと、ほとんどの子どもは思わない。気づいたのは、最近になってからです。


元来子どもは、無邪気で天真爛漫で。親を困らせて、ワガママで、やりたい放題で。
何度叱られたって、同じことを繰り返す。
それでも、何もしなくても、毎日ごはんは出てくるし、お風呂もお布団も、用意されている。
そうやって、子どもは、「ここにいてもいいんだ」っていう安心感を得る。

自己肯定感が育まれていく。

それが、私にはなかったな。

泣いたりわめいたり、ワガママを言ったりして親を困らせる、
無邪気な子どもが、眩しくて嫌いでした。
私がそんな子どもになれなかったから。

「甘え」を知らない、甘えられない私。
そんな私が子育てをするのは、とても難しい。
容赦なく、次々とぶつかってくる娘を、ありのまま受け止めることができず、自己嫌悪の毎日。
甘えを受け止めることの難しさと、日々、戦っています。

その奥底にあるのは、
「私はそんなワガママ、言わなかった!」 
「私はもっと、親のことを考えてた!」
「私はそれくらい、我慢できた!!」

という、子どものころの私の叫び。

その叫びを、まず、自分できいてあげよう。
娘の甘えを受け止められなくて、イライラして、キレてしまう自分。
そんな自分を責めず、気持ちに寄り添ってあげよう。
子どものころ出せなかった甘えを、今、私が、自分で受け止めてあげよう。

今まで、ワガママ言わずに、がんばってきたんだね。
あなたの娘がHSCなら、あなたがそうだったように、忙しい母親に、ワガママを言えないはず。
でも、ワガママをちゃんと言ってる。ということは……。
それだけ安心できる存在っていうこと。あなたが、良いママっていう証明なんだよ。
だから、自分を責めなくていいんだよ。
あなたは、昔も今も、がんばってるよ!