バウンダリーは、ちょうどいいところ探すためにひくもの
話を戻そうか。
今日は「相手の問題に立ち入りすぎない」ことがテーマだね。
HSPは、周りの人が困ってたり悩んでいたりするのに
気づくことが多いと思うから、これも知っておくといいよね。
そうですねー。
ついつい放っておけなくなっちゃうことあります。
これも、相手の問題を、
自分の問題として受け止めすぎないってことだよね。
あー、そっか。
でもそれこそ、困ってるって気づきながら放っておくのは、
なんか冷たくないですか?
境界線をひくことは、相手を突き放すとか放っておくこととは違うんだ。
相手の問題を引き受けすぎないことと、相手を突き放すことの、
中間をいくというか、ちょうどいいところを探す感じかな。
ちょうどいいところ?
相手の領域に入りすぎてる状態は、
相手の問題を、自分の問題として受け止めすぎているということだね。
困っている人がいたとして、「自分がなんとかしてあげなくちゃ」と責任を感じすぎたり、
相手に問題が起きたときに「自分が助けてあげなかったせいだ」と、自分を責めちゃったりね。
ん~、ありますね、そういうこと。
境界線をひけるようになると、そうやって責任を感じなくなるんですか?
ここは微妙なところでもあるけどね。
まったく責任を感じなくなることはないよね。
困ってることに気づいちゃったら、なんとかしてあげたいと思うし。
ですよね。
手助けすること自体が悪いことでもないですよね?
もちろん。
「困っている人を助ける」ことはとてもいいことだよね。
というか、「いいこと」だからこそ、逆に難しいんだ。
「べき思考」に囚われていませんか?
「いいこと」だから難しい?
そう。
いいことなのに「あえてしない」って、気が引けるよね。
そ、そうですね。
「いいことをしない」って、悪いことしてるみたいに感じちゃうんですよね。
それは、「いいことはしなければいけない、やるべき」という
「べき思考」になっちゃってるからかもね。
はあ、いいことはしなくちゃいけないんじゃないんですか?
ここは表現が微妙なところだよね。
問題なのは「べき思考」なんだ。
しかも「いいこと」っていっても、抽象的で、
何がどこまで「いいこと」なのかは、人によっても状況によっても違うでしょ。
それなのに、「いいこと」と言えそうなことを
あれもこれも「やるべき」だと思っちゃうと、かなり縛られちゃうよね。
そっか、「いいこと」はその時々にもよるから、
「べき思考」を何とかしたほうがいいんですね。
境界線をひいて、相手の問題を引き受けすぎないように、
手を引くときに、「べき思考」が残ってると、
へんな罪悪感が残っちゃうからね。
それに「べき思考」は、周りの評価を気にしていると陥りやすいんだ。
でた、周りの評価。。。
それにとらわれすぎないための境界線ですもんね。
評価を気にしすぎると、確かに人と接すること自体が怖くなるし、
それが冷たい感じとか、突き放す感じになるんですかね。
ん~、なんかつながってきたぞ。
(バウンダリーその5につづく)