バウンダリー(その4)「べき思考」からはなれよう

バウンダリーは、ちょうどいいところ探すためにひくもの

くにみ先生
くにみ先生

話を戻そうか。
今日は「相手の問題に立ち入りすぎない」ことがテーマだね。
HSPは、周りの人が困ってたり悩んでいたりするのに
気づくことが多いと思うから、これも知っておくといいよね。

繊細パンダ
繊細パンダ

そうですねー。
ついつい放っておけなくなっちゃうことあります。

これも、相手の問題を、

自分の問題として受け止めすぎないってことだよね。

あー、そっか。
でもそれこそ、困ってるって気づきながら放っておくのは、
なんか冷たくないですか?

境界線をひくことは、相手を突き放すとか放っておくこととは違うんだ。
相手の問題を引き受けすぎないことと、相手を突き放すことの、
中間をいくというか、ちょうどいいところを探す感じかな。

ちょうどいいところ?

相手の領域に入りすぎてる状態は、
相手の問題を、自分の問題として受け止めすぎているということだね。
困っている人がいたとして、「自分がなんとかしてあげなくちゃ」と責任を感じすぎたり、
相手に問題が起きたときに「自分が助けてあげなかったせいだ」と、自分を責めちゃったりね。

ん~、ありますね、そういうこと。
境界線をひけるようになると、そうやって責任を感じなくなるんですか?

ここは微妙なところでもあるけどね。
まったく責任を感じなくなることはないよね。
困ってることに気づいちゃったら、なんとかしてあげたいと思うし。

ですよね。
手助けすること自体が悪いことでもないですよね?

もちろん。
「困っている人を助ける」ことはとてもいいことだよね。
というか、「いいこと」だからこそ、逆に難しいんだ。

「べき思考」に囚われていませんか?

「いいこと」だから難しい?

そう。
いいことなのに「あえてしない」って、気が引けるよね。

そ、そうですね。
「いいことをしない」って、悪いことしてるみたいに感じちゃうんですよね。

それは、「いいことはしなければいけない、やるべき」という
べき思考」になっちゃってるからかもね。

はあ、いいことはしなくちゃいけないんじゃないんですか?

ここは表現が微妙なところだよね。
問題なのは「べき思考」なんだ。
しかも「いいこと」っていっても、抽象的で、
何がどこまで「いいこと」なのかは、人によっても状況によっても違うでしょ。
それなのに、「いいこと」と言えそうなことを
あれもこれも「やるべき」だと思っちゃうと、かなり縛られちゃうよね。

そっか、「いいこと」はその時々にもよるから、
「べき思考」を何とかしたほうがいいんですね。

境界線をひいて、相手の問題を引き受けすぎないように、
手を引くときに、「べき思考」が残ってると、

へんな罪悪感が残っちゃうからね。
それに「べき思考」は、周りの評価を気にしていると陥りやすいんだ。

でた、周りの評価。。。
それにとらわれすぎないための境界線ですもんね。
評価を気にしすぎると、確かに人と接すること自体が怖くなるし、
それが冷たい感じとか、突き放す感じになるんですかね。
ん~、なんかつながってきたぞ。

(バウンダリーその5につづく)